ボツ作文 この社会でどう生きるか

人は考える葦である。自然界において人はあまりにも脆弱であるが、思考できるという能力のために偉大であり尊厳を保っているのだ。言い換えれば、考えることこそが生存のための唯一の武器なのである。しかしながら、この社会ではその武器を自ら放棄してしまう人が多く見受けられる。人は思考しないでも人であることに価値があると言わんばかりだ。それは、人々が意識的に捨てたのではなくこの社会が我々に無意識的にそうさせるのである。
そもそも、社会とはどのようにして形成されたのか。それは古代ギリシャの哲学者であるプラトンの唱えたイデア論と深く関わってくる。



それこそがかつて我々の大多数から考えることを放棄させた、常識というものである。

社会は魂の牢獄なのだ。今こそ、この私たちを押さえつける既成の、崇拝された不完全な真理、つまり常識というものをいちから考えてみるべきではないのか。疑ってみるべきではないのか。自分は

無意識を意識し続ける努力が求められる。

つまり、ただ人であること、命があるということはもはやさほど価値を持たないのだ。そこに尊厳など存在しない。考えなければ家畜に成り下がってしまう。人は考え続けることによって自分の価値を示し続けなければならない。


案そのに
考える葦→捨てた→→常識の発生→思考の消失→創造性の需要→今こそ取り戻すべきではないか。しかしながら、常識に従うのが社会の規範。疑おう。今の私たちに尊厳などあるのか。思考を放棄して、常識だけをみて真理には目も向けない。